
日本人街のタニヤには、独特の“タニヤ語”がある。知っておけばタニヤ遊びも股間も盛り上がること間違いなし!?
シーロム通り【Silom Road】ถนน สีลม(タイ語)
バンコクのシーロムエリアにあるメインストリート。ラーマ4世通りから南西に伸び、チャオプラヤ川の手前まで続く。地名の由来は運河の風車。
(カラオケクラブ店内にて)
【あなた】 「タニヤ」が人の名前とは知らなかった。
そしたらさ、「シーロム」っていうのも人の名前なの?
【タニヤ嬢】 シーロムはネ、私、わかるダケド、日本語ワカラナイ…
【あなた】 どういう意味?ジェスチャーで教えてよ。
【タニヤ嬢】 ウ~ン。あ♪ アレ!(店内の扇風機を指さす)
【あなた】 ああ、“暑いから扇風機つけてエッチする”?
【タニヤ嬢】 ちーがーう!!そんな街あるワケないデショ!
<解説>
以前の記事で、“タニヤ”という地名は地主一族のお兄さんの名前が由来、という話をご紹介したが、タニヤやパッポンがあるエリア全体はシーロムという。
このシーロムはタイ語でいうと「風車」という意味なのである。
昔のバンコクでは王宮などがあるあたりが旧市街で、郊外では田んぼや畑が広がっていた。あちこちで農業がおこなわれていたのだが、農地では水が必要であり、農作物や肥料を舟で運ぶためにも運河が整備された。

1950年代までシーロムにも運河がいくつかあってチャオプラヤ川まで続いていた。
そして運河の流れを利用してほとりには水車が作られた。この水車の力で収穫した米を精米していたのである。こうした水車がたくさん並んでいたので、このエリアのことを「シーロム」と呼ぶようになったのだ。
もとは水路や水運にちなんだ地名で現在は繁華街やビジネス街になっているという意味でいえば、日本でいえば東京の“千代田区”や大阪の“道頓堀”に似ている。
1960年代にシーロムの運河の多くは埋め立てられ、もとの農地を地主が開発してパッポン通りやタニヤ通りなどの繁華街へと変貌していく。
今ではスラウォン通りの奥の方に路地にひっそりと異臭を放つ汚いドブ川が何本か流れているがこれが当時の運河の名残である。
現在のシーロムエリアはバンコク銀行本店をはじめ、多くの日本企業のバンコク支社や大型ホテルが並ぶ大都会で、運河がある水運の中心だったおもかげはあまりないが、パッポンのゴーゴーバー街やタニヤのカラオケ街など、バンコク有数の水商売の総本山として、“水”に関係する街であり続けているというのは、不思議な縁である。