
日本人街のタニヤには、独特の“タニヤ語”がある。知っておけばタニヤ遊びも股間も盛り上がること間違いなし!?
タニヤ【thaniya】ธนิยะ(タイ語)
バンコク・シーロムエリアにあるタニヤ通りのこと。地名の由来は人名。
(カラオケクラブ店内にて)
【あなた】 おっ!今日のドレスはおっぱいの谷間がみえていいねえ♥
【タニヤ嬢】 おっぱいタニヤ?ですカ?
【あなた】ちげーよ。タニヤじゃなく谷間。…そういやタニヤってどういう意味なの?
【タニヤ嬢】 マイルー(知らない)だよー
【ママ】 タニヤって人の名前ですよ。
【あなた】【タニヤ嬢】 チンロー!?(本当!?)
<解説>
カラオケクラブの並ぶタニヤ通り。まるで日本語みたいな響きの地名だから元は日本語なのかな?と思ったことがある方もいるかもしれないが、これはタイ語でしかも人名なのである。

1960年代までのシーロム(タニヤやパッポンを含むエリア一帯の地名)は運河と農地がある田舎であった。ベトナム戦争(1965年~1975年)の際、南ベトナムを支援していたアメリカはタイを拠点にして北ベトナムと戦争を繰り広げていた。米兵は休暇になるとバンコクを訪れた。
そうした米兵たちの夜の娯楽街として、パッポン通りにゴーゴーバーが誕生し、タイ全土から美人が集まりゴーゴー嬢として米兵の夜の相手をするようになった。

パッポンとは、このエリアの地主だった中国系タイ人の名前である。元々米軍と関係が深い人物で、CIAの秘密拠点もパッポンエリアに置かれていたそうだ。
パッポン通りは米軍関係者をはじめとしたアメリカ人向けの繁華街だったが、日本人商社マン向けの飲み屋もパッポン通りの近くにでき始めた。

それをみた隣のソンブーンタム家という地主一族が1970年、野原に住友不動産との合弁でオフィスビルであるタニヤビルディング(現タニヤプラザ)を建設し、日本企業の事務所を誘致した。ビル名の「タニヤ」は、このソンブーンタム家の長兄の名前からとって名付けられた。

タニヤビルディングには多くの日本企業が入ったため、それらの企業の社交の場として日本式の高級クラブが近くに数店舗ほど開業し始めた。これが発展して現在のタニヤ通りとなったのである。のちに1980年代にこれらのクラブに日本から運んできた日本語カラオケマシーンが置かれるようになったため、こうしたクラブのことをKARAOKEと呼ぶようになった。

最盛期にはカラオケ店やバーは100軒を超え、タニヤ通りや裏通りでは店が入りきらないのでシーロム通りやスラウォン通りにもカラオケクラブが点在していた。その名残が、スラウォン通り沿いにあるウォールストリートタワーの地下で、現在でも数軒カラオケクラブやスナックがある。これがタニヤ通りの発祥の経緯である。

こうした激動の歴史を見つめてきたタニヤ通りは、コロナによる営業休止も乗り越え、復活してきている。世界でも珍しい日本人街であるタニヤ通りの伝統を引き継いでいきたい。